子ども食堂への差し入れ 始めました Vol.15 感謝するということ(*^.^*)

2021.9


今は 2021.9.22

岐阜県は 8月からのコロナウイルス 第5波の感染爆発の影響で
9月30日まで緊急事態宣言が発令

子ども食堂として使ってる公民館は 行政からの指示で使えないようになってるようで

子ども食堂としては 開催されてないけど


それでも 子ども達への弁当の配布に切り替えてくれてるお陰で

子ども達のご飯を食べられる喜びや 笑顔になる時間があるのは とてもありがたいと思う



子ども食堂に集まる ボランティアさんや支援者さん 近隣の方々の
一人一人の優しさや 思いやりが集まって

子ども達を包み込むように守ってくれてる

それはもう 感謝しかないです



そんな中でも 弁当を作ってくれる方は とても大変だろうなと思う


限られた食材で 少しでもバランスのとれた弁当を用意してくれるのも
かなり悩むだろうし 考えるだろうなと

それでいて 子どもに喜んでもらえる 30食分の弁当を作ってくれる

そんな至難技をこなしてくれて 弁当を作ってくれる方には感謝しかないです



最近 お弁当を作ってくれる方が一人引退し さらに苦労も負担も多くなると思いますが


いつもありがとうございます
これからもお弁当作りを お願いします(^-^)


心からの 感謝の気持ちは伝えたい


自分が子どもの頃に 子ども食堂があったら良かったなと思う



子ども食堂で お弁当を作ってくれてる方から フェイスブックのコメントを通して

いつも ありがとうございます  と お礼の言葉をもらえた



感謝を伝えてもらうと 自分がやってることは無駄じゃないんだと思えるし


感謝してくれる人が居てくれるなら これからも続けよう


そう思えるから 次の行動の活力にもなる

だから 感謝することを おろそかにしてはいけないと 強く思う

子ども食堂への差し入れ 始めました Vol.14 偶然というのはありうる( ̄ー ̄)

2021.9

最近 アマゾンプライムで観始めた

コールドケース ~真実の扉~

アメリカドラマのリメイク版で 吉田羊さん演じる 捜査一係の刑事が
子供の虐待の疑いのある捜査で 相棒の若い刑事に放った言葉に 衝撃を受けてしまった


食事を抜かれたことはある?

修学旅行の積立金がないから無理

プールの時間も 水着が買えないから出ない

自尊心だけで生きてる


自分のことを問いかけられてるようで テレビを観てて 衝撃が走った

貧困で まともに食事も食べられず 水着も買ってもらえず 授業を休んだり
給食費も払えず不登校になったり

そんなことは 自分だけの話かと思ったけど テレビのワンシーンとして使われるのは
日本中のいろんな地域で いろんな家庭で起こってることなんだと 思い知らされた


子ども食堂への差し入れを やめようかと悩んでて

たまたま気晴らしで観たドラマ

自分の貧困時代の記憶を呼び起こされるのは 何か意味があるのかな?

子ども食堂への差し入れは

一人でも多くの子供達が笑顔になってくれるのなら
保護者の方が喜んで貰えるなら

続けていきたい

それが本音

子ども食堂への差し入れ 始めました Vol.13 それぞれの想いはあるよね(^_^)

2021.9

2021年7月から 子ども食堂への差し入れをはじめてみて
2021年8月のお盆休みまでに3回 差し入れすることが出来た

子ども食堂の代表の方のメールやブログの更新で 子供達や保護者の方が
笑顔になってくれてるとういう話を見ると 差し入れして良かったなと素直に思う

岐阜県内も緊急事態宣言が発令され 子ども食堂の開催も出来なくなった状態で
9月17日現在も開催はされていないけど 

弁当の配布と 差し入れしてくれる飲み物だったり お菓子だったりもそえられて
子ども達が持ち帰る様子も ブログで見てても安心する

コロナ禍で某大手自動車会社も減産で
派遣社員も休業を余儀なくされるだろうし

サービス業であったり 仕事が減ったり 無くなったり そんな家庭もたくさんある中で

たとえ一食の弁当であっても それで 笑顔になる子がいることが
何よりの 救いなのかなと思うし

一食の弁当でも 貰えない子どもがいるのは 悲しい現実でもある

子ども食堂の代表の方とお話しして 今は差し入れは中断

子ども食堂が開催されるまでは 待機みたいな感じなので
Twitterを通して 支援できる団体さんはあるのか 検索してみることにした

これは情報収集もかねてて

他の子ども食堂はどんなことをやってるのか?
どういう形で 食を提供してるのか?
どんなものを差し入れするのが良いのか?

いろいろと知ることもできる

隣の愛知県の子ども食堂の団体さんが
クラウドファンディングを立ち上げてたので 参加してみることにした

一口3000円を申し込み クラウドファンディングの締め切りが迫るなか
なかなか目標金額に届かない感じでモヤモヤしていて

Twitterでもリツイートしたりして 拡散はしてるつもりではあったけど

さらにもう一口 追加申し込みをして2口6000円

自分に6000円を使うのは あまり考えないけど

知らない誰かの為に使う6000円は 勇気もいるし決断も迫られるが
誰かの笑顔に繋がるならと そういう思いで参加してみた

クラウドファンディングの締め切り当日に
なんとか目標金額に達成し素直に喜んだ

それから数日

クラウドファンディングを達成した 子ども食堂の代表さんのツイートに
コメントを入れてみても 返信はなく いいね だけでそっけない感じ

せっかく拡散したりしたのに お礼を言われることもなく シカトされてる状態

自分がクラウドファンディングを立ち上げて それがもし達成したのなら
ツイートで拡散してくれた人には 個々にお礼を言って回るけど

そういうこともなく リプの返信もなく
クラウドファンディングに参加したことに むなしさすら感じてしまう

人それぞれの考えもあるのだろうけど とても失礼な代表さんだと思うし
大人がすることではない

そんな中 その団体の代表さんのツイートで

おじさん=性犯罪 と とられてしまうようなツイートを見てしまい ショックを受けた

SNSを通じて知らない人と 簡単に出会ってしまうこの世の中

優しい子どもは

おじさんが寝てほしいなら 寝てもいいよ

そう思う子どもがいると言う

おじさんの中には 甘い言葉や おもちゃ お金を誘惑の材料に使い
子どもに近づく奴も居るのは事実

だからと言って おじさんひとくくりにされてもね

おじさんは そんな風に見られてるのかと思うと
実際に子ども食堂に参加するのも 代表の方にどう思われてるのかと不安に思う

子ども食堂の子ども達に会うことも ほとんど無いんだけど なんだか悲しくなるね

子ども達を守るのは大切なことだし
性犯罪や性被害に あわないように教えることも大切

だけどTwitterを通してクラウドファンディングの支援者を募り

そのTwitterで ひとくくりで おじさんを避難するようなツイートは
もう少し考えて発信できないものかと

見えないところで 子ども達に教えることも出来るし
あえてTwitterであげなくても良いのではないかと思う

自分と同じようおじさんが
クラウドファンディングで支援もしてるはずだし もう少し配慮も必要だと思うんだけど

挙げ句の果てにはリプに返信もなく

おじさんひとくくりで避難するなら

子ども食堂を立ち上げる謳い文句や クラウドファンディングの説明にも

おじさんからの支援は受け付けませんと
書いてあれば 支援もしなかったと思うし

そこまでしてくれると逆にかっこいい

おじさんから取れるものは取って あとは知らん顔

こういうことが出来ることが 逆に凄い

ここの子ども食堂に助けられる 子ども達や保護者もたくさん居ると思うけど
逆に傷つけられる人も たくさん居るだろうね

自分の思想を貫くことは良いことだけど おじさんを踏み台にする代表者もどうかと思う

自分から見境なしに助けを求めて 誰かが手を差しのべて
握ったその手を もう要らないからと突き放す

そういうことを自分がしてるという自覚はもってほしい

お金というのは 個人で拾うわけでもなく 作れるものではない

お金のほとんどが 誰かの努力 誰かの労力から生まれるもので 金額が低くても大切なお金

その大切なお金を集めて 自分達の活動に使うのだから
お礼を言うのは 人として当たり前のこと

クラウドファンディングが達成した時に
サイトを通してお礼は言ってくれましたが

Twitterでも個々に拡散したりしてる人はたくさん居て

協力して貰った人にお礼を言うのも当たり前で
個々にツイートして協力してるのだから 個々にお礼を言うべきだと思う

まして 協力して貰った人のリプをシカトするとか まずあり得ないし
うわべだけでも 何かしらの反応をするのが大人の対応であって

大人になって 団体の代表者になって
そんなこともわからないのでは うわべだけの 支援しか出来ないんじゃないかな

恩を仇で返す

まさしくその言葉がぴったり

はっきり言うと 支援したことを 

お礼を言え 感謝しろ そういう低い次元の問題じゃない

支援して貰いたい人が居て 支援したいと思う人が居る

支援して貰いたい人は 支援をして貰えば  それで終わりかもしれないけど

支援したいと思う人の中には
また新たな 支援をして貰いたい人と 繋がりを求める人も居る

その原動力は何かというと

ただ単に お金をばら蒔きたいのではなく
困ってる人を助けたいという気持ちがあるから

自分が支援をしたことで 感謝されたり 誰かが喜んでくれたり
そういうことを知ることが 次の原動力に繋がる

もしそこで 今回のようなことがあると 新しい支援は閉ざされてしまうことになりかねない

だから 自分が支援して貰ったことは それは自分だけの問題じゃなくて

次に困ってる人へのバトンタッチが繋がるように
感謝することも大切だし 大人の対応も大切だと思う

今回の団体さんのように
支援して貰ったことで満足して 感謝することを ないがしろにする行為は さすがに自分勝手

お金は貰っておくけど あとは知らん そう取られても仕方がない行為だと思う

こういう団体さんが減ってほしいし なくなってほしい

思いやりや 優しさのある 人と人との繋がりは 大切にしたい

こういう自分のことしか見ていない団体さんに 人との繋がりは語ってほしくない

本当 そう思う

不登校になって どうやって過ごしていたのか?Vol.5 6年生


2021.9


6年生の3学期は 中学入学の準備とか いろいろとやることが多いので
登校することも多めになってて

小学校を卒業してしまうと 給食費の未払い請求もできないのか?
担任の先生の催促も多め

学校からの連絡が 家にいない親と繋がることもなかった



小学校の放課後を利用して 夕刊の新聞配達をする友達が居て
中学に上がるのでもうやめると言う

なので 中学に上がるまでの2か月でも
その新聞配達のバイトをやれないか 販売店に聞いてもらえないかとお願いすると
あっさりOKを貰え やることになって

月曜から金曜まで60件の夕刊を配達して 一か月6000円

小学生からしたら とてつもない大金

新聞販売店も たまたま家の近くで 学校が終わってから
新聞を配るのも 1時間くらいで済んでしまう

時間的余裕から 1か月だけのバイトになったけど 人生 初給料は4000円

紹介してもらった友達が 配達先がわからないと困るからと
慣れるまでの数日は 配達で付き添いをしてくれたので 友達に2000円を渡し

その初給料を知った母親は 2000円持っていった


初給料で 文具を買ったり お菓子を買ったり 洗濯洗剤を買ったり
あっという間になくなったけど

自分で稼いだお金を使うのは嬉しかった



住んでる地域では 小学校から中学に上がる場合
3校ほどに分散するので 小学校でお別れする友達も半数以上

友達と言っても 前ほどの繋がりを築いてなかったので
寂しく思ったりすることもなかったけど

その変わり 今まで遊んだことはないけど 同じ中学に進む新しい友達も出来たり
何かとメンタル的にも 忙しくなる時期だった



不安に思ってた 中学準備も進み
学ランや学校指定のジャージを買ったり カバンを買ったりする中

ジャージがあるんだから体操着はいらないと勝手な解釈で買わない母親
やっぱり 不安は的中


不登校が始まる前の 小学校3年の時に

新しい学校に転入して初めての水泳の授業
当然 水着が必要で 買ってくれないので 授業はずっと休んでて

買ってくれたと思ったら 安い普通の海パン

当然 水泳の授業なんかに着られないから ずっと休みを貫く時期があったので
今回の母親の行動は ありえることだと思った


小学校の卒業式の前日 担任の先生から呼び出され
給食費の未払いを親にしっかり伝えるように言われ 請求書の入ってる封筒を渡された

家に帰って請求書を見ると
学級費を含めて4万円ほどの金額だった


帰って来た母親に渡すと こんなに払ってなかったのかと 驚いていたけど
お前が使い込んだだろと言われたが

そもそも給食袋にお金を入れて 渡されたのは数回であって
俺が使い込むほど渡されてなかったが なにも言い返さず黙ってた


小学校の卒業式の服装は 白いシャツに黒い半ズボン
女子は白いシャツに黒いスカートと指定されてて

日頃から黒い半ズボンを履いてない自分は
新たに購入しなければならず 母親に買ってほしいと言ってはいたが

1日しか着ない黒い半ズボンは当然買わなくて
手持ちの茶色の半ズボンに白いシャツで卒業式を迎えることになった

翌朝に母親から未払いだった給食費と学級費を持たされたが

いろいろ事情はあるけど 普通に払ってくれれば 俺も普通に学校に行けたんだけどなと
ふと思ったけど その言葉は心にしまっておいた


卒業式当日 登校すると

みんな白いシャツに黒の半ズボンやスカートを着ている中で
茶色の半ズボンを着てる自分と グレーの半ズボンを着てる子がいた

みんなと違う色の半ズボンを着てても 誰ひとり責めたり弄ったりする子も居ない

逆に今日1日だから わざわざ買わないよねと みんなフォローしてくれる
人間関係に恵まれてるなと 子供ながらに思う

担任の先生に 未払いだった給食費と学級費を渡したら 心が晴れた感じにも思えたけど
こんな嫌な思いはしたくないと思いながら

卒業式も無事に終わり 晴れて卒業となった

一年近く過ごした学校だけど あまり思い入れも作らないように
友達も作らないようにしてきたので 感動的な感情も沸いてこなかったけど


中学の学校生活が不安で仕方なかった

不登校になって どうやって過ごしていたのか?Vol.4 6年生


2021.9


6年生の夏休み明けは登校したけど 給食費は未払いがあったりなかったり

学校に行かない時は 家にこもる日々
 
学校に行かなくても 朝は必ず起きて 
電気が使える時は テレビ観たり 掃除したり 洗濯したり

電気が止められてる時は 風呂桶で手洗い洗濯
あとは適当に過ごして 本を読むくらいかな

食べる物もそうあるわけでもないし 買うお金もないので
お腹はすくんだけど そのうち忘れる感じ

下校途中の友達が 様子見に来てくれたり プリント持ってきてくれたり
たまにアパートの下の道路から 〇〇!学校に来いよぉ!と励ましももらえる

6年生になると 中学の学校生活を考えたり
その先の 中学卒業したら 就職はどうするか?

大雑把ではあるけど 考えてる時期もあった


学校生活は いたって普通
連続で休んだあとの登校は 先生からいろいろ聞かれるし 給食費未払い分の催促もある

普通に授業受けて 休み時間も 性別問わず
必ず誰かとおしゃべりしてみたり 遊んだりもする 普通の小学生

ただ学校生活は 前ほど楽しいこともないし 本気で友達作ろうとかも思わない


それは また転校するかもしれない不安から来るものだった…


放課後は 運動場の一角で遊ぶことも多かったけど

学校と真反対の家の子たちで 普段遊ぶことがないメンバー
しかも隣のクラスの子が多かったけど どっちかというと やんちゃなグループ

別の日に下校してから 野球やったりする子たちとはまったく別で
こっちはどっちかというと 野球の数合わせ的な感じ

小さい弟や妹を連れて 面倒見てる子たちが多くて おとなしいグループ

二つのグループでうまく遊んでたなと 今でも自分に感心する

だから 不登校の理由は 絶対に誰にもわからないだろうなと思う


秋も終わる頃
夜 ひとりでご飯食べて ひとりでテレビを観て

今でも覚えてる

水曜日の夜21時過ぎ テレビは夜のヒットスタジオデラックスが流れてて

ふと思った 死のう

そう思い 着替えて 近くの6階建てのマンションの最上階にあがり
廊下の鉄作を超えて前のめりになって 両手は後ろ手に手すりを掴んで 恐怖感もまるでない

いつ手を離そう  

泣くわけでもなく 震えるわけでもなく
数分か 数十分か 手を離す勇気もなく 家に帰って寝た


翌日 何事もなかったかのように登校

何か苦しくなる出来事があったわけでもなく 嫌なことがあったわけでもない

普通にテレビを観てて そう思っただけで
その時は なんでそんなことをしたのか 全く思いつかなかったけど

数日後 何気に将来への不安を考えてたこともあったなと 思い出した


ご飯も毎日食べられず 学校にも行かず 勉強できるわけでもなく

中学生活 まともに生活できるのか?

中学卒業して 簡単に就職できるのか?

そんな不安を抱えながら冬休みに入って新年を迎えた



不登校になって どうやって過ごしていたのか?Vol.3 6年生

2021.9


5年生の3学期も終わろうとする頃に

母親からの急な呼び出しで 離島から 以前住んでいた市内に呼ばれ
今日からここに住む と宣言されて

母親に対しての不信感が強くなった頃


生きていくことの励み というと 大袈裟かもしれないけど
好きな子と 交換した 自主学習ノートも 処分され

さらなる不信感しかない母親と二人で暮らすことになった


5年生の3学期の終業式を迎えず 6年生の新学期まで 不登校となり
離島で処分されたと思った学校道具だけは 後日送られてきた


新学期を迎えてから数日後 新しい学校へ登校

登校と言っても 転入届を持って全く知らない学校へ始めて登校する

親の付き添いもなく一人で
教頭先生に転入届を出し 新しい母校となる学校の手続きは 子ども本人だけ

教頭先生も 困ったなぁ といった感じだったけど受理され

転入した学校は6年生2クラス

4回目の転入となると慣れたもんで 黙ってても取り囲まれるから

好奇心旺盛な子たちのおかげで 友達はすぐにでき
家が近い子と帰るようになった


1学期の後半から 給食費の未払いが始まったけど ほとんど登校したので
放課後に友達と集まって野球したり 遊ぶことも多く

隣のクラスの友達も増えてきた


母親が帰ってこないと 平日でも ご飯が食べられない日もあったが

6年生になると 少しばかり料理の知識も身に着くので
具なしの味噌汁や すいとんとか作って食べてたかな


夏休みに入る前に 先生から個人的な呼び出しがあって

給食費を払ってくれるよう 親に伝えるように言われるけど
母親も中々帰ってこないので伝えられず


夏休みも 相変わらず電気は止められ 電話も止められるし

電話が止められると 家に電話をかけてくる友達とかにもバレるから
最初からないほうが良いと 小学生でも思う

母親も帰ってこず 食事もあまり食べられず お金もないので出かけることもなく
夏休みは 家で過ごすことが多かった


ガス会社の訪問集金はよく来るし 借金取りも毎日訪ねてくる

借金に関しては 母親の彼氏の借金というのは 借金取りに教えてもらった

電気は止められ 夜は真っ暗になる
ろうそくは 前もって母親が買ってきたのがあって
夜はその明かりで過ごすこともあったけど

住んでるアパートは3階で 道路に面して見晴らしも良くて
逆に言えば 外からでも電気の明かりで 居るのか?居ないのか?わかってしまうので

外から見ると
電気もつけずにろうそくの明かりが部屋でゆらゆらしてるのも
電気止められてます宣言 になるので なるべく使わないようにして


水道は止められることはなかったので
冷水でもお風呂に入れるのはありがたかった

ガスはアパートの個室単位で止めることが出来ない というのは
ガス料金の訪問集金の人に教えてもらった


当時 給食費が払えないのに 給食を食べることへの罪悪感は どうしても消えなく
不登校することが 悪いんじゃなくて 給食費を滞納することが悪い

だから学校には行かない

この考えを持ったのは 先生の一言から始まったのは 覚えてる

3年生の時

〇〇君と 〇〇君と 〇〇さん
給食費払えてないので 払ってもらうように家に人に伝えてくださいね
給食費払わないと 給食は食べられませんよ

先生からの何気ない 悪気のない言葉
先生からすれば当たり前のことを言ってるだけなんだけど

自分の心には刺さってしまった


先生がどうとか それは全く思わない
自分の家庭環境が招いたことだから 給食費を払わない自分が悪い


ただ大人になっても思うのは
中学卒業まで 光熱費や備品などで徴収される学級費とか 給食費は無償化にしてほしい

義務教育なんだから 子供たちの学びの場を しっかり国が支えてほしい


この時代 子ども食堂のありがたさは 自分でもよくわかる

子ども食堂は 子供たちに食を分けてくれるだけではなく

自分たちの居場所 自分たちが居ても良い場所
自分たちの存在を認めてくれる場所だから

行政の力が大きく加わって
淡々と事務処理的なことをされても あまり意味がない

人の優しさ 大人の優しさ 人のぬくもりを求めている子どもが
寄り添う場所だと思う

不登校になって どうやって過ごしていたのか?Vol.2 5年生

2021.9


5年生の三学期に転校した学校は 離島の学校で1クラスだけ

親の知り合いの紹介で借りた家は 小さな一軒家

母親と過ごすことが多かったが 帰りは遅く 朝早くから出かけたりしていたので
学校に行かなくても 家ではひとりになれる環境ではあったけど


離島の学校は人数が少ないから 行かない訳にもいかず

転入したばかりだと いじめられてるとか思われるのも嫌なので
たまに休むくらいで ほぼ通学

都会から来た自分に クラスの子は興味深々で
いろんなことを聞かれたり 家に呼ばれたり すぐに友達もできた


家にテレビはなくて 本を読むことが多くなった

前の生活では 電気代が払えなくて 止められることも多かったからか
テレビがなくても 不便に感じたことはなく

前の学校の好きな子と交換した 自主学習ノートを
開いては眺めて 想い出に浸ることが日課になってた

好きな子とは 苗字が同じだったので
将来 結婚してもお互いに名前が変わらないな と考えてたこともあったかな


そんな生活が1か月ほど続いていたけど
母親が帰ってこない日が多くなったのもこの辺からで

相変わらず朝ご飯は食べなくて 晩ご飯は 母親が作った作り置きか

無いときは ご飯を炊いて適当に 食べれないときもあったけど
前ほど苦労することはなかった


月に2回くらい フェリーに乗って30分で本島に行き
そこから路線バスで2時間かけて 前に住んでた市内に帰ることもあって
叔母さんの家に泊まることもあったり 母親が住むアパートに泊まることもあったり

おかしな生活をしていたけど たまに帰るのは自分にとっては心の癒しのようなもの


帰る時は クラスの子に頼まれて
離島では買えないおもちゃとか いろいろ買って帰ったことも


前の 想い出深い学校も 路線バスの通り道で 寄ろうと思えば寄れたけど 中々足も運べず
転校して数か月で 顔を出すのもなんだなと 

好きな子にも逢いたい そんな気持ちを押し殺して過ごしてた

離島暮らしを初めて2か月ちょっと 3学期も終わりに近づいて

相変わらず一人で過ごすことが多く ご飯は毎日食べられていたかな


母親からの急な電話連絡

電話は家になくて 親の知り合いの家に電話があって
そこのおばさんが家まで来て教えてくれた

そのおばさんの家まで2キロくらいかな
車で乗せてもらうと 帰りも送ってもらうのも悪いので

のんびり歩いて向かって 電話を貸してもらい 母親と話すと

学校は良いから帰ってこい と言われ


知り合いのおばさんから交通費を渡され
翌日は学校に行かず ほぼ手ぶらでフェリー乗り場に向かった

フェリーに乗り バスに乗って 2度乗り換えて 母親が住んでるであろうアパートに向かう

母親のアパートは 前に住んでた所とは同じ市内だけど 距離的には離れていた

母親の家に着いて 母親からの衝撃発言 

今日からここに住むから

はぁ?置いてきた荷物どうする? 

向こうで全部処分してもらうから

はぁ!大事な物もあるのに 俺は取りに帰るぞ!

もう処分してないよ



俺が母親のアパートに向かってる最中に 離島の家では大掃除が始まって
家にあるものは全部処分された…


大事な大事な 好きな子と交換した 自主学習ノートも処分された


これで余計に 母親のことが嫌いになったけど さらに嫌いになることがあった


この2か月半の離島生活は 母親が彼氏から逃げるためで
結局 復縁する形で市内に戻ったのを

家に遊びに来ていた母親の友達が
別の友達と話をしてるのを聞いてしまって知った


今回の転校が4回目で 借金だの男だの 母親の都合で振り回されてきたことは

まだ続くことになる