不登校になって どうやって過ごしていたのか?Vol.2 5年生

2021.9


5年生の三学期に転校した学校は 離島の学校で1クラスだけ

親の知り合いの紹介で借りた家は 小さな一軒家

母親と過ごすことが多かったが 帰りは遅く 朝早くから出かけたりしていたので
学校に行かなくても 家ではひとりになれる環境ではあったけど


離島の学校は人数が少ないから 行かない訳にもいかず

転入したばかりだと いじめられてるとか思われるのも嫌なので
たまに休むくらいで ほぼ通学

都会から来た自分に クラスの子は興味深々で
いろんなことを聞かれたり 家に呼ばれたり すぐに友達もできた


家にテレビはなくて 本を読むことが多くなった

前の生活では 電気代が払えなくて 止められることも多かったからか
テレビがなくても 不便に感じたことはなく

前の学校の好きな子と交換した 自主学習ノートを
開いては眺めて 想い出に浸ることが日課になってた

好きな子とは 苗字が同じだったので
将来 結婚してもお互いに名前が変わらないな と考えてたこともあったかな


そんな生活が1か月ほど続いていたけど
母親が帰ってこない日が多くなったのもこの辺からで

相変わらず朝ご飯は食べなくて 晩ご飯は 母親が作った作り置きか

無いときは ご飯を炊いて適当に 食べれないときもあったけど
前ほど苦労することはなかった


月に2回くらい フェリーに乗って30分で本島に行き
そこから路線バスで2時間かけて 前に住んでた市内に帰ることもあって
叔母さんの家に泊まることもあったり 母親が住むアパートに泊まることもあったり

おかしな生活をしていたけど たまに帰るのは自分にとっては心の癒しのようなもの


帰る時は クラスの子に頼まれて
離島では買えないおもちゃとか いろいろ買って帰ったことも


前の 想い出深い学校も 路線バスの通り道で 寄ろうと思えば寄れたけど 中々足も運べず
転校して数か月で 顔を出すのもなんだなと 

好きな子にも逢いたい そんな気持ちを押し殺して過ごしてた

離島暮らしを初めて2か月ちょっと 3学期も終わりに近づいて

相変わらず一人で過ごすことが多く ご飯は毎日食べられていたかな


母親からの急な電話連絡

電話は家になくて 親の知り合いの家に電話があって
そこのおばさんが家まで来て教えてくれた

そのおばさんの家まで2キロくらいかな
車で乗せてもらうと 帰りも送ってもらうのも悪いので

のんびり歩いて向かって 電話を貸してもらい 母親と話すと

学校は良いから帰ってこい と言われ


知り合いのおばさんから交通費を渡され
翌日は学校に行かず ほぼ手ぶらでフェリー乗り場に向かった

フェリーに乗り バスに乗って 2度乗り換えて 母親が住んでるであろうアパートに向かう

母親のアパートは 前に住んでた所とは同じ市内だけど 距離的には離れていた

母親の家に着いて 母親からの衝撃発言 

今日からここに住むから

はぁ?置いてきた荷物どうする? 

向こうで全部処分してもらうから

はぁ!大事な物もあるのに 俺は取りに帰るぞ!

もう処分してないよ



俺が母親のアパートに向かってる最中に 離島の家では大掃除が始まって
家にあるものは全部処分された…


大事な大事な 好きな子と交換した 自主学習ノートも処分された


これで余計に 母親のことが嫌いになったけど さらに嫌いになることがあった


この2か月半の離島生活は 母親が彼氏から逃げるためで
結局 復縁する形で市内に戻ったのを

家に遊びに来ていた母親の友達が
別の友達と話をしてるのを聞いてしまって知った


今回の転校が4回目で 借金だの男だの 母親の都合で振り回されてきたことは

まだ続くことになる

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