2021.8.29
今年で46歳(*´▽`*)
小学校と中学校は ほぼ学校に行かず 不登校で たまに保健室登校
中学は 生徒指導室登校もあったけど ほぼいかず
なんとか中学は卒業し 高校進学は金銭的に諦めて就職を選んだ
中卒で 親元を離れ県外に出て 寮のある会社に就職
あれから30年…
途中いろいろあったけど
子ども食堂へ差し入れするようになるとは(^-^)
子ども食堂を検索したり 子ども食堂のブログを読むことも多くなってから
自分の不登校時代をよく思い出す…
小学校時代の環境は 母子家庭で 家には誰も居なくてずっと一人
小学校2年生の時に転校して 3年生から生活環境も悪化する一方で
毎日ご飯が食べられない状態が多く
食べる楽しみは学校での給食で ゆいいつの食事
夏休みになると 3~4日はご飯も食べられないのは普通で
長いと1週間とか10日とか 食べられないこともあったり
でも当時は こういう生活が 普通とまでは思わないけど 気にはしてなかったかな(;^ω^)
3年生のいつからか? 給食費が払えてないことがあって
クラスの帰りの会で先生に
〇〇君 給食費払ってないから お母さんに伝えといてね と
みんなの前で言われることが 当時は普通で 名前を挙げられる子は数人
え~〇〇君のとこ 給食費払ってないのぉ~
という声は上がったりすることはあったけど
周りの子は 気にすることもなく
そのことを あとからクラスの子に 何か言われることもなかった
ちなみに 母親は家に帰ってこないから 伝えるのも不可能な状態
4年生に上がると 給食費は
給食袋にお金を入れて 職員室のポストに入れる仕組みだったので
給食費が払えていないことや 未払いの月があることは 自分で自覚するようになったかな
払えてないと 当然クラスで公開処刑されるのは変わらずだけど
4年生になると 給食費未払いで給食を食べることに罪悪感を持つようになり
そこから 不登校が始まった…
1週間に1回 学校を休むようになって それが2回3回と回数は増えて
無断で休むから 当然先生は親に連絡しようとするけど
うちには電話もなかったから 様子を見に家に来るようになる
最初は応答してたけど 話するのも面倒くさくて居留守をするようになったり
そのうち先生も 家には来なくなったけど
クラスの友達が 放課後に様子を見に来てくれて
当時 給食で出たパンは完食するか 持ち帰って食べるかの 2択だったり
休みの子の家に プリントを届けるときに 給食のパンを持っていくルールがあって
友達が持ってきてくれたけど
パンは受け取ることは出来なかった
学校に行かない理由は 友達にも 誰にも言わなかったし
うちの母親は なんで不登校になってたのか 今でもわからない
そのあと小学校は3回 転校したけど
給食費は未払いが多いので不登校はやめなかった
またいろいろ書きますよ(^-^)
暗い話だけど お楽しみに(;^ω^)